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関前サッカークラブの歴史 [サッカー]

先日、棚の奥に眠っていた「サッカーマガジン 第350号」を発掘しました!
そう、当時はまだ月刊誌でしたので昭和63年の6月号に、
「関前南サッカー少年団」(いまの関前SC)
が取り上げられているのです!
懐かしい・・・
創設に至った過程や、練習内容など今読んでも非常に面白い記事でした。
当時は写真に写っているかいないかしか興味ありませんでしたが、
先生・父兄の方々はいろいろと大変だったんだなと今更ながら感心しました。
関前SCのHP等を見ても詳しく載っていないので、
サッカーマガジンを元に創設時の歴史だけでもおせっかいにもまとめてみようと思います。
なでしこの岩渕真奈さんや有力選手を多数育て上げた関前SCの創設秘話とは!?w


関前サッカークラブ・(関前SC・関前サッカー少年団・関前南サッカー少年団)の歴史
http://sekimae.net/
『昭和60年3月 学校内の組織として発足』
(確か大野寛治校長や深澤先生などの尽力による)
在校時のことを思い出すに、キャプテン翼が非常に流行っていました。
そこで僕らを始め、各学年の子供たちがサッカーチームの創設を先生にお願いした・・・
といった記憶があります。

そこへ
『昭和60年4月 佐藤喜重郎先生 着任』
されることになります。
佐藤先生は、東京学芸大学サッカー部、社会人リーグで活躍され、
高山清先生、田中宏明先生とともに府中6小に少年サッカーチーム「府ロク」を設立。
府ロクの全盛時代を築くとともに少年指導のノウハウを学んだようです。
まさか佐藤先生がそんなにすごい経歴の持ち主とは、今の今までつゆ知らず・・・w
佐藤先生は3年生の担当となり、
僕ら4年や5、6年生は深澤先生に教わっていたような記憶があります。
そうはいっても深澤先生だけというより、佐藤先生との二人三脚であったような感じでしょうか・・・。
ただ、その年の武蔵野市の大会(4年生の部?)で優勝したのは覚えています。
「学校内の組織だったため、武蔵野市の大会や市内のクラブとしか試合ができなかった」
・・・と言われてみれば、確かにそうだった気もしますが、子どもとしては特に気にしてませんでしたw

『昭和62年4月 サッカー少年団になる』
会長三浦光圀、顧問永田秋男、監督佐藤喜重郎
コーチ青山一夫、浦口義幸、阿久津英雄、杉山清彦先生
永田先生は元担任、三浦会長は同級生と後輩のお父さん、大変お世話になりました。
いろいろな方達の支えがあってクラブが成り立っていたんですね。
それは今の関前SCでも変わらないようです。
ただ、サッカー少年団になることによって各種大会に参加できるようになっていたんですね。
知りませんでしたw

と、ざっとサッカーマガジンをもとに記憶をまとめてみました。
なにせ子供だったので間違いがあったらすいません~
そしてざっと振り返ってみるに、『関前南サッカー少年団』から「南」がはずれ、
「少年団」が「クラブ」となった経緯については分かりませんでした・・・
では~
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